トムに取られた車
トムは異なる電話番号から電話を掛けてきたが、僕はことごとくブロックしてしまうので、このところやっと諦めたようだ。
最後の電話はこうだ。
「あなた今どこに居るの? 私の車欲しくない?」
「あれは俺の車だ!馬鹿野郎。」
「私今チェンライの実家。お金無くてどうしようもないの。」
「そんなこと俺の知ったことか。」
「あの車、買ってくれない?」
「まだ売ってなかったのか。とっくの昔に売ったと思ってたよ。」
「私、2年間頑張って持ってたよ。やっと売れるようになった。」
月額12000バーツ程のローン返済が一人で出来る筈が無いので、闇で売ったか、ローン会社に没収されたかのどちらかだろうと思っていたので、想定の範囲外だった。
あの車は、タクシンの特別減税で買ったので、2年間は所有者変更が出来ない縛りがあった。その縛りが解けたので、僕に売りたいと言う。
返す、じゃなくて、売りたい、だ。
一瞬、迷いが走った。もともと僕の車な訳だし、生活に困って至急の現金が欲しい訳だから、あの車が安く戻って来るチャンスだと。
しかし、待てよ。もともと自分が買った車を更に買い戻したら、損失額が増えるだけで、何の得にもならないじゃないか。
買い取ってすぐに売って現金化するとしても、所有者変更の手続きに二人で行くのは嫌だ。
それにあの女のことだから、何か悪い裏があるかも知れないし、なくてもどうせ市場価格よりも高く売りつけようとするに決まっている。つまり、売り捌いたとしても損害額が増えることは有っても減ることはない。
或いは、買取るふりをして誘き出し、無理やり車を奪い返して突き放すという選択肢もあるが、何しろ彼女名義なもんだから警察に訴えられると僕の負けである。盗まれた車を奪い返して、自分まで盗人になるのは御免だ。
そんな馬鹿らしいことを誰がするもんか。
7秒間の沈黙でそう考えて、僕はその黙って電話を切ってブロックした。