なんだか演歌
この頃、どういう訳か、やけに演歌が頭の中を駆け巡る。
気が付くと、昭和の演歌を口ずさんでいる。
ここ数日の人気歌手は、青江三奈。あ~ん、あ~んの伊勢崎町ブルースなど。
僕が子供の頃、我が家にはお茶の間があった。お茶の間の中心人物はテレビで、家族皆テレビを囲んで団欒していた。
そのテレビが映していたのは、何時も歌謡番組だった。
僕は腹違いの末っ子だったので、小学校低学年の頃から、所謂歌謡曲のベテランだった。園まりとか、ピーナッツ、マヒナスターズ、ピンキーとキラーズ、ブルーコメッツ、美空ひばりと言い出したらきりがない。歴代のレコード大賞は全部歌える(昭和時代のみ)。
その中で、青江三奈はある意味僕の女性感にインパクトを与えた。
あのハスキー声は、我が家でも賛否両論で、森進一と並んで、あんな声なら歌う価値なしと言うのが親父の意見。声はハスキーだけど、そこが良い訳だし、歌は上手いと言うのが姉の意見。
あ~ん、あーんと言うと、喘ぎ超えのようで妖艶過ぎると言うことで。NHKの紅白歌合戦でも変なビーニー笛に置き換えられた。僕も子供ながら、嫌らしい声のようで、聴くのが恥ずかしかった。今は耳に心地良いが。
当時彼女は未だ20代だった筈だが、子供の僕にはとても熟女思えた。普通とは違う、酒場か色街で育った人だと思っていた。
しかし、実際はサバサバした普通の女の子で、デパートの化粧品売り場で花札ニと言うと作曲家の目に留まり、同棲して発声練習の上、銀巴里にデビューさせたと言う説と、高校時代から銀巴里で歌っていて、そこで花札ニの目に留まり、演歌歌手として芸能界入りしたという説がある。芸能界入は両親から猛反対され、謂わば駆け落ちのように家出した。
花札ニとは20年も同棲して、歌唱指導を受けていたとか。青江三奈が今はどうしてるのかと思って調べてみると、18年も前に膵癌で亡くなっていた。
欧陽菲菲のlove is overも良く鼻歌で出るし、中学時代の初恋の女のカラオケ18番が雨のエアポートだったので思い出深い。彼女も年若い頃から台湾の中央酒店で歌っていたところ、日本人にスカウトされて、日本語の特訓を受け、雨の御堂筋でデビューしたらしい。
テレサ・テンも台湾で少女の頃から歌手として歌っていたのを、日本人がスカウトして、苦労の末、有名演歌歌手になったそうな。
テレサ・テンの歌は、目黒のカラオケ屋で巨乳な台湾の学生アルバイトと知り合って、当時は中国語で何曲か歌えるようになっていたが、今はもうすっかり忘れた。
子供の頃に聞いた歌は、何十年経っても微妙な小節使いから、歌詞の二番まで忘れないのが不思議だ。
自分が中学生の頃は、アメリカンポップスやビートルズにハマり、歌謡曲を馬鹿にしていたが、僕の脳みそにしっかりと染み付いていたのは、歌謡曲の方だった。
シュドゥビドゥビドゥビドゥビドゥーバーってどういう意味?
シュビドゥバーパパパヤー は止めてけれ?