今日も一人草取り
元気に育つサツマイモ畑で、のんびり一人草取り。
「この感じ、随分前にも感じたっけなあ。」
タイに来る前の十数年間程、僕はガーデニングに夢中になっていた。
バラや日本にない草花の種を集めて、それを育てた。
初めの頃は、野菜やサツマイモもやった。
いろんな問題を抱え、頭が飽和していた時に、無心の草取りは辛いことを忘れさせてくれる時間だった。植物を育てることは、悔しい屈辱感や妬みから開放してくれる逃避そのものだった。
10分位汗だくになって草を取ると、眼鏡を外して汗を拭き取り、空を見上げる。無心に草取りをしていると、自然と昔のいろんな人の言葉が蘇ってくる。
「何であのときあの人はそう言ったんだろう?」
なんて、今となってはもう関係ないようなことを思い浮かべる。
頭の中で勝手にドラマを演じて、何か弁解している時もある。
「あの時、別の対応をしていたら、どうなったのだろうか?」
「あれは僕の人生の恥の部分だが、それを回避することが果たして出来ただろうか?」
など、取り留めもなく思い巡らす。
空を見上げて風を感じると、また無の心に戻って草取りの開始。その繰り返し。
まさかタイで草取りに明け暮れるとは思ってなかった。
なんとかして、もう一旗上げたいが、目の前の草取りもやらなきゃ進めない。
草取りなんて、敗北者がすることか? いや、農園なんて退役組には売ってつけの良い仕事かも。
農園なんかやってて、この先成功するのか? いや、今既にとっても幸せかも。
会社人生を続けていたとしたら、今の自分と何方が幸せだろうか?
なんてね。
分かりませんけど、草取りは嫌いじゃない。