タイのヤーバー
タイで最も一般に蔓延しているドラッグの一つにヤーバーがある。
名前の通り、かなりヤバイ。又の名を、エス, スピード、アイス、エクスタシーとか色いろある。
昔はヤーマー(ヤーはクスリ、マーは馬)と呼ばれ競走馬を興奮させるために投与されたり、深夜トラックの運転手の眠気防止薬として使われていた。ガソリンスタンドで普通に売られていたそうだ。今では、ヤーはクスリ、バーは気違いの意味で使われている。注射剤もあるが、多くは錠剤で、ラオス、ミャンマー、中国から入って来たものが多い。
かつては戦後の日本と同様に何の規制もされていなかったが、現在は違法薬物として厳しく取り締まれている。その結果、価格が高騰。小売価格は一錠100~150バーツから250~450バーツに上がっている。
今でも歓楽街の女や、それを取り巻く男たち、北部や東北部の農村等では、それほど珍しいシロモノではない。田舎の成年男子で、一度もヤーバーをやってことがない人は少数派ではないかとさえ思える。日雇い労働者をピックアップする駄菓子屋では、アンフェタミンの錠剤を1錠いくらで堂々と売っていた。
ヤーバーの主成分はメタンフェタミン30%、カフェイン60%、その他10%。
注射剤は特にシャブともいう。つまり現在の覚醒剤の主成分でアンフェタミン同様強い覚醒作用がある。
つまり、麻薬ではなくて覚醒剤ということになる。
ターミネーターのジョン・コナーが、動物病院で盗んで服用したのが動物用アンフェタミンだった。
最近某有名ミュージシャンがカフェイン中毒で死亡したが、実はヤーバーだったのではと邪推している。
メタンフェタミンとはヒロポンのこと。ヒロポンとは、大日本住友製薬(旧:大日本製薬)の商品名で、「疲労をポンと取る」からヒロポンなのだそうだ。天下の日本発明品だ。
当時はメタンフェタミンの副作用について知られていなかったため、規制が必要であるという発想自体がなく、一種の強壮剤として利用されていた。当時の適応症は、「過度の肉体および精神活動時」「夜間作業その他睡気除去を必要とする時」「疲労二日酔乗り物酔い」「各種憂鬱症」だった。大日本帝国軍では、長距離飛行を行う航空兵などに支給されたそうだ。ヒロポンは「本土決戦兵器」の一つとして量産され、終戦時に大量に備蓄されていた。竹槍で機関銃に立ち向かうには、まともな精神では無理で、ヒロポンでも飲まなければとても出来ないことだっただろう。
しかし、日本の敗戦により、大日本帝国軍の備蓄品が一気に市場へ流出し、その薬物依存症者即ち「ポン中」が大量発生し社会問題となった。1951年(昭和26年)に覚せい剤取締法を施行したことに伴い、日本国内では、「限定的な医療・研究用途での使用」を除き、覚醒剤の使用・所持がすべて禁止されている。
前述のようにタイでも厳しく取り締まれているが、一向になくなる気配はない。
僕とマシュマロちゃんが、一緒にいちご園を手伝ってくれる親戚のために、準備金としてなけなしのお金15000バーツを前払いしたのだが、そのお金はヤーバーを買うために消えてしまった。
この話は後日改めてお話したい。