マシュマロいちご園に住み着いたメスの子犬。
妙に僕になついて可愛かった。

マシュマロピックアップトラックD-Max号でいちご園に戻ると、いつも車を追いかけて来て、ドアを開けるや否や跳び乗ろうとしてきた。
車のすぐ近くを走るので、危なっかしいと思っていた。
車の下で寝ていることもある。
未だ名前も付けていないそのメスの子犬が、僕が日本にいる間に、マシュマロピックアップトラックに敷かれて死んでしまった。

運転していたのはマシュマロちゃん。
いちご園に戻って来て停車する直前に車の下に飛び込んで来たと言う。
日本滞在中の悪い知らせの一つがこれだった。
あんな小さな身体がピックアップトラックの大きなタイヤに敷かれたら、即死間違いないだろうと思ったが、実際は息が出来ずに5分間程も苦しんで死んだという。
マシュマロちゃんは、僕がその仔犬を一番可愛がっていたのを知っていたので、僕に何度も謝った。僕じゃなくて、死んだ仔犬に謝って欲しい。
マシュマロちゃんが犬を轢いたのは、これで二回目になる。一回目は夜の街道で。
「とても心が傷んだから、これからはスピード落として走るようにするわ」
ぜひそうして欲しいものだ。
「犬のお墓はどこに埋めた?」と聞くと、
「お母さんが何処かに捨てた。」と言う。
殺しておいて死体を捨てたとは何たることかと思ったが、そういえばタイでは道路の至る所に犬の事故死体が放置されていて、埃になるまで片付けられることはない。
そもそも、誰か特定の人が飼っているわけでもない犬が多い。所有者不明。鑑識もなし。死んだ仔犬だって、可愛がってはいたものの、時々餌をあげていた程度で、飼っていたとは言えない状態だった。
タイ人は犬を愛し、信心深い仏教徒なのに、犬の死体をお墓に埋めて成仏を祈らないのは何故だろう。
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胎内記憶とかある人もいるようですが・・・
ともぞうは まったく ありません。
したがって
死んだら 無 です。
たぶん・・・
おさなごのころ
銭湯で母親の手から 滑り落ちて 溺れかけた記憶だけは 鮮明に残っています・・
おじは、泥酔した時、子供の頃に死んだ父親(私の祖父)が現れ、助けてくれて無事に家に帰ることができた。
などと言う話をしていました。が・・・
ともぞうが
津波に飲まれそうになったときには 誰も助けてくれませんでしたが・・・。
ただ 「逃げろ! !」
と声をかけてくれた消防団員の方には感謝しています。
しかし
職務上・・すぐに逃げることはできませんでした・・・。
でわ
各脳細胞の繋がりの度合いを表した「ステート、状態変数」(つまりこれは数列で表現できる)が死とともにゼロに戻る。
即ち、すべての経験や蓄積された応答パターンはリセットされます。
これが死。死は死んだ本人には無であって、何も残りません。他人のステートに残るだけです。
悟りを得る為ではなく
現世利益を求める・・・人間の欲。
◯は 「死ぬ ・・死ぬ ・・ 」
言いますが、
死んだ例は有りません
たぶん 死んだら 終わり。
です・・・。
二親そろって、何不自由なく、育ててもらったので 幸せなほうだと思っています・・・。
家族運は無いと人によく言われます。
でわ
> 百歩譲っても
> ハムケンさんの愛犬に対する敬意・愛情が足りないと思います。
> 一事が万事です・・・。
> ご注意下さい ! !
>
注意します。
>
> 昔 親父の可愛がっていた猫がいたのですが・・出張中に 20Km離れた 山奥に捨てられました・・・。
> (犯人は母親と祖母でした。)
>
> ・・ちなみに、その猫は1〜2週間後に ボロボロになって戻って来ました。
>
> でわ
ともぞうさんも、つらい経験たくさんお持ちなんですねえ。
> その人は元々、犬が嫌いで毛嫌いしていたから飼い主が日本に帰っている間にこれ幸いと犬をほぼ故意で轢いたのではないか、
> 女は自分への愛情を奪う者を目の敵にする。それが犬であろうとも自分への愛情が減ると思えば、かたずけてしまおうと意思を持つはず。
ありえない話じゃないですね。
・・・というのは 自己保存の欲求が高いので 躊躇なく 平気で・・・します。
百歩譲っても
ハムケンさんの愛犬に対する敬意・愛情が足りないと思います。
一事が万事です・・・。
ご注意下さい ! !
・・・というのは
ひとが どのくらい愛情や時間を注いでいるというのは 全く お構い無しです。
それが・・・という 生き物の本質です。
昔 親父の可愛がっていた猫がいたのですが・・出張中に 20Km離れた 山奥に捨てられました・・・。
(犯人は母親と祖母でした。)
・・ちなみに、その猫は1〜2週間後に ボロボロになって戻って来ました。
でわ
その人は元々、犬が嫌いで毛嫌いしていたから飼い主が日本に帰っている間にこれ幸いと犬をほぼ故意で轢いたのではないか、
女は自分への愛情を奪う者を目の敵にする。それが犬であろうとも自分への愛情が減ると思えば、かたずけてしまおうと意思を持つはず。
> それは、遺体にはもはや魂が宿っていないと考えているからだと思います。
宗教的にはいろいろ意見があるでしょうか、個人的にも遺体にはもはや魂が宿っていないと思っています。
> ところで、そろそろイチゴの季節が終り、
> イチゴ園が閉鎖になる頃だけどまだ死んでいない他の犬は
> どうなるのだろうか?
他の犬は食べ物がないので、きっとどこか別のところに行ってそこで生活するだろうと思います。
もともと、そうして何処かからやってきた犬たちなんです。
> イチゴ自体は終りだけど野菜や花でも栽培して売る?
これ思案中です。
収益は期待できないので、もし時間があって簡単に収穫できる価格の高い野菜などがあればやるかもしれません。
> 今日はパスワードの申請にハムケンさん宛にコメントしています。
> よろしくお願いします。
パスワードはメールで送付しました。ご確認を。
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飼っている犬じゃなかったからか?
知り合いのタイ人のおばちゃん2人は飼い犬が死んだ時
寺に持っていって土葬や火葬した。
ところで、そろそろイチゴの季節が終り、
イチゴ園が閉鎖になる頃だけどまだ死んでいない他の犬は
どうなるのだろうか? どこかのゴミ箱をあさるか、
ハムケンさんのノンタブリーの家に連れて帰りますか?
イチゴ自体は終りだけど野菜や花でも栽培して売る?
いづれにしても、一度かわいい犬に情が移ってしまうと
可愛そうで気になって仕方が無いだろうに。
それは、遺体にはもはや魂が宿っていないと考えているからだと思います。
タイの仏教は死体をあまり特別視しません。その影響もあるように思います。
同じ仏教といっても、日本人の死生観と彼らのそれは相容れないものなのですよ。