大晦日の夜2015
2015年の大晦日は、マシュマロいちご園で迎えた。
昨夜12時半からパクローン市場に仕入れに行き、その足でワンナムキアオのいちご園に向かった。朝5時にいちご園に着いて、2時間ほど仮眠を取ろうとしたが眠れず、そのまま夜8時まで働き詰めだったので、大晦日だというのに夜の9時には床に就いてしまった。
モン族は大晦日や新年には何をするのか聞いてみると、丁度いちごの収穫時期でもあるので、特にカウントダウンもせず、普段通り働いて寝るだけという。
「つまらないな。お寺の野外カラオケにでも行きたいな。」と言ってみたが、誰も賛同しなかったので、諦めて寝ることにしたのだった。
夕食後の晩酌のヤドーンのせいで、僕もすぐに眠ってしまったらしい。何か夢を見て目覚めてみると、打ち上げ花火の音がした。何もない静かな山間部に花火の音が木霊する。
その家は隙間だらけで窓も開いているので、蚊帳の中で寝ていても、野原で寝ているのと同じように、外の音がそのまま耳に入ってくる。自分の寝床が世界の中心となり、360度四方八方から花火の音が耳に飛び込んでくる。遠いところの花火もあれば、近場で爆裂する花火もある。打ち上げ花火特有の「ヒュー」という笛の音が夜空に響き渡る。
その音がうるさくて眠れない。
大きな打上げ花火もあるらしく、時折窓ガラスが響いた。
そのうちに、花火の音の数が増えだした。花火の音は、まさしく四方八方からものすごい数になってきた。10秒間に100発位。音だけじゃなくて、光も凄い。
僕は愛知県岡崎市の花火大会には何度も行ったことがあって、河原の桟敷から花火を見るのが好きだったのだが、それよりも数が凄くて、寝ていて恐ろしくなってきた。
「ヒュー、ヒュー、ドカン、ドカン」という音が、まるで対空砲火の中にいるような気がしてきた。
そのうちに本当に戦火の中にいるような錯覚に陥り、僕は恐ろしくなって外に飛び出した。
その夜は空気が透き通って星がたくさん出ていたが、地平線周りには無数の花火が打ち上がっていた。
「ハムケンさあ~ん。ハッピーニューイヤー ナカ-」
暗い林の中から誰かが僕に向かって叫んだ。誰だか分からなかったが、それで「ああ、いま年が明けたんだ」と分かった。遠くのお寺らしきところから、新年を祝う若者の叫び声が微かに聞こえてきた。
森の中で花火の集中砲火はピークを迎え、その後花火の数は徐々に減っていった。オリオンのベテルギウスとリゲルを見上げて、小声で自分に「ハッピーニューイヤー」と言ってみた。
タイに来て、第二の人生はまだ成功していないが、この状況や僕を取り巻く人達を思うと、タイに来る前とは隔世の感がある。あまりサバーイではないが、確かに僕はセカンドライフの中にいる。
ここ数年の大晦日を思い出してみた。
2012年の大晦日は、インソムニアというクラブでカウントダウンした。
2013年の大晦日は、実家の居間で迎え、近くの神社に初詣に行った。
2014年の大晦日は、サムットプラカンの行きずりの女とセントラルでカウントダウンした。
2015年の大晦日は、ワンナムキアオのいちご畑の中にいた。
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