何がそんなに心配なのか:大前研一
大前研一氏の論評は、サラリーマン時代からメルマガ等で時々読んでいた。
当時は、ちょっと極端な堅物と思っていたが(失礼)、バンコクで行われた和僑会世界大会に大前研一氏を招待し基調講演をしていただいた、その講演DVDを観た時から僕の考えは変わった。
世界大会の時、僕はタイに来たばかりで、まだ和僑会会員ではなかった。そして世界大会にも参加していない。しかし、和僑会アセアン大会かなにかのときに、売れ残った僅かな講演DVDを破格の値段で(成り行きで)購入してしまった。彼の講演DVDの最後の一枚が僕のところに来たのは幸運だった。
内容はあまり期待してなかったので、実際にDVDを観たのは購入してから数週間後だったが、観てみたら面白い事この上なかった。面白いというのは、知的なユーモアを感じたのと、僕が感じていたことを見事に論説してくれたからだ。
彼の講演の内容は、よく分析されたデータに裏付けられているが、データーの検証など素人はやらないので実は講演にはあまり重要ではない。重要なのは、「伝えたいことを如何に相手に伝えられるか」ということにあるが、この点、彼の講演は凄かった。流石大物と感じた。
大物は、難しい話を素人にも分かりやすく、感覚的に話すことができる。
自然科学の分野でも、優秀な科学者ほど素人に分かりやすく説明できる。難しい理論無しで、素人に分かりやすく説明するのは、非常に優秀で真理をよく分かった科学者でないと出来ない。一応科学者の端くれであった僕は、この点はよく分かる。
経済学、政治学という科学においても同様だと思う。
世界大会の時に彼が感覚的に話したことは、現在の日本人の心が世界的にも歴史的にもありえないほど萎縮し、不安に怯え、閉じこもってしまっているという危機感だった。
和僑会のメンバ-は、そんな日本を後先考えずに「足を踏み外して」飛び出してしまった数少ない人間の集まりということで、エールを送っていただいた。
さて、前置きが長くなってしまったが、先ほど僕は東洋経済ONLINE に掲載された「世界に類を見ない日本の「低欲望社会」という彼の論文を読んで、僕のブログの読者にも是非読んでもらいたいと思った。
時間があったら、是非こちらの原文を読んでみて欲しい。そんなに長くないので10分位で読めると思う。
ここでは、僕が「そうだ、そうだ」と思った分かりやすい表現を抜粋してみたい。
「今、日本の企業や家計は潤沢な資産を保有しています。これだけお金を持っているのに、使わない。これほど金利が下がっても、お金を借りない。この状況が世界にも類を見ない日本の「低欲望社会」です。お金がたくさんあっても、企業や個人にお金を使う欲望がないのです。
なぜお金を使わないのか。明確な理由があります。染色体に「将来の心配」という特性が宿っているのです。
日本人はもともとこれほど心配性だったのかというと、そうではありません。われわれの世代が育ったころの日本人は、「坂の上の雲」を目指して、世界に出ていこうという志を持っていました。今よりも貧しい生活をしていたけれど、将来の心配などしていなかった。
松下幸之助は、英語がしゃべれないのに世界へ出ていきました。本田宗一郎は高等小学校しか卒業していませんが、世界のホンダをつくった。昔の日本人は、今よりもずっと楽観的だったのです。
現代の日本人には、老後の生活について若い頃から心配するという特徴があります。「老後の生活についての考え方」というグラフを見るとそれがよくわかります。老後の生活を心配している人が、1992年の60%台から、2014年は90%近くまで増えています。心配していないという人が10%強。この20年間で、心配している人が明らかに増えています。
何がそんなに心配なのか。「老後の生活を心配する理由」を見ると、「十分な金融資産がない」「年金や保険が十分ではない」という理由を挙げている人が多いようです。「ゆとりがなく、老後の備えが十分ではない」というのですが、日本人1人当たりの貯蓄額は世界最大です。いくらあったら安心できるのでしょうか。」
中略
冒頭で述べたように、日本人は使う気になったらいくらでもお金を持っています。家計の金融資産・現金・預金額はどんどん増え続け、今や(2015年時点で)1700兆円を超えています。このお金が1%市場に出てくるだけで17兆円です。
中略
一方、企業は利益余剰金を354兆円も貯め込みました。不況になって1980年時点の50兆円が350兆円になったのです。1989年12月にバブル崩壊が始まりましたが、個人資産はこの25年間で735兆円も積み上がっています。このお金を消費に向かわせればいいわけですが、この資金を強制的に市場に導くには、資産課税を重くすればいいのです。
すると、じっとしているだけでどんどん目減りしてしまうのですから、それなら人生をエンジョイするために使ったほうがいいな、と皆思うはずです。「死ぬ瞬間に、ああ、いい人生だった、と思いたくありませんか? 皆さん人生をもっとエンジョイしましょう」と、首相が国民に呼びかけて、その気にさせないと、このお金はマーケットに出てきません。そして「その代わりに皆さんが病気になったら国がとことん全部、面倒をみます」と言えばいいのです。
スウェーデンでは貯金をする人がいません。国が面倒をみてくれるのですから、貯金はゼロでいいのです。年金、保険、貯金と3つともすべてやっている、しかも年金の3割を貯金に回している日本人は、死ぬ間際に、自分の人生においてもっとも金持ちになってしまうわけです。日本人は誰も国を信用していません。誰も国の将来が明るいと思っていないのです。日本人は、国が何と言っても絶対に我々を裏切るよねと考えているので、いざという時のために貯金していて、最期にキャッシュがいちばん貯まるのです。
中略
お金はあの世には持って行けません。
中略
彼らが求めているのは、心から「本当にいい思い出になった」と感じるものなのではないでしょうか。
僕はタイに来て、お金の面ではろくなことはなかった。私生活については割りと赤裸々に書いているこのブログにも、事業に関する醜い出来事については、ほとんど書いていないが、初めから実に酷いことばかり経験してきた(この経験は後日整理して書いてみたいと思っている)。
しかし、もし今死ぬことになったとしたら、タイに来て「ああ、いい人生だった」と思えると思うので、この数年間のことは後悔していない。
僕の人生、もしかするとまだ30年以上あるかもしれない。30年というと、かつてのサラリーマン人生と同じ長さだ。まだまだとうなるか分からないが、これからの人生で、僕は不安に怯えてじっとしていることはないだろうと思う。そして、本当に死ぬときに、「ああ、いい人生だった」と思うはずだ。