ハリボテいちご作製方法

今年こそはあの醜く壊れやすいハリボテいちごは卒業して、鉄骨モルタルかファイバープラスチック製のいちごモニュメントを作りたかった。

そう心に誓ったのに、今年も去年に引き続きハリボテから卒業することはできなかった。

何故なら、

① ハリボテ以外に自分達で作れる方法が見当たらなかった。

② 本格業者に発注すれば出来るのに、その資金が融通出来なかった。

③ 僕はハリボテが嫌いだが、マシュマロちゃんは大好きだったので、意見が合わなかった。

④ ハリボテは冴えないが、それでもかなりの広告効果があった。

からだ。

ハリボテの何が嫌いかと言えば、その壊れやすさだ。3か月と持たない。転べば100%凹んで穴が開く。防水シールドと油性エナメル塗料で武装したところで、所詮紙とデンプン糊で出来たハリボテは雨に滅法弱い。

それが嫌で、2年前壁に塗るパテで作ってみたが、自重で崩壊した。

しかし、この度マシュマロちゃんは、耐水性や強度の向上を目指して作製方法を少し変えた。

その作り方とは、

鉄の骨格に直接新聞紙をデンプン糊で貼ってゆくのではなく、先ずプラスチックフィルム製の梱包用粘着テープを両面三重に貼る。

ここが最大の改良点。

粘着テープの耐水性は不明だが、テープ自体はプラスチックフィルムなので耐水性がある。また紙よりずっと強度があって、この段階で転んでも破れなかった。

次に、プラスチック粘着テープの上に、今度は紙製のテープを接着する。ペンキを塗る際にペンキが他所に着かないように保護するときに使う安いテープだ。

そして、その上に新聞紙を糊で貼ってゆく。これから先は従来通りで、乾いたら防水シールド塗料を塗って、それが乾いたら速乾性エナメル塗料を塗って出来上がり。

実のところ、新聞紙を糊で貼るステップが必要なのかどうか不明。

出来上がった姿は従来通り見苦しいが、強度と耐水性はかなり良くなっている感じがするので、期待している。

このプラスチックフィルム粘着テープを使うという方法は、僕が数年来考えても思い付かなかった方法で、しかもコストは高くない。粘着テープ代がハリボテ一個辺り500バーツ程上乗せされただけ。

マシュマロちゃんあっぱれだ。

僕は何処で貢献したかというと、これを支える土台を改良した。

土台は、バケツに塩ビパイプを立ててセメントで固めて作るが、そのバケツを縦長から横広型に替えた。それから、塩ビパイプを鉄パイプに替えた。それだけ。

それだけだが、これでハリボテが倒れることが無くなると期待している。多分、鉄の骨格が折れない限り倒れない。

だけど、ショップを倒壊させたような突風が吹けばどうなるか分からない。ハリボテごと飛ばされてしまうかも知れない。

こういうのは何処まで強度を上げれば良いのか決めるのが難しい。強度にこだわるときりがない。

これでシーズンいっぱい壊れずに使えたら幸いだ。

カオヤイ農園いちご狩り終了

5月1日から、結局もういちご狩りは終了することにした。

スリップスが猛威を奮ってきたし、とにかく暑くてお客さんが採ってくるいちごも僅かになった。

実のところ、頑張れば未だ1kg位採れる位あるが、普通のお客さんはそこまで頑張らない。

毎日の高温で、いちご株は水不足で萎れがち。

カオヤイに来る観光客も、まさかいちごが未だあるなんて思ってないので、殆どいちご園はスルー。

しかも、昨日から住込みワーカーが所用で数日間の予定でチェンマイに戻った。

と言うことで、今年のいちご狩りは4月末日をもって終了とあいなりました。

いちご狩りを予定されてたお客さんには申し訳ないけれど、もう次の乾季までいちご狩りは出来ません。

でも、お店は時々開いてます。

喫茶と乾燥いちごしかないけど。

まだあるいちごともうないお客

4月までやっているいちご園なんて、カオヤイにはうちしかない。ワンナムキアオには妹さん夫婦のいちご園があるのみ。

いちごは乾季(寒季)の果物で、暑季真っ盛りで、もうすぐ雨季入りする時期なのに、未だいちごの実があるし、いちごの花もあるってどういうこと?

小粒だが、糖度は十分、とても甘い。

ミバエの幼虫も余り入っていない。

朝でも気温は27℃を下回ることはないこの暑さで花が出て来るなんて、僕の理論上有り得ない筈なのに何故だろう。日長のせいだろうか。(日本でも、いちごは本来、5月からの果物。最近は、温室栽培で5月には終了してしまう)

せっかく実があるので、一応いちご園は開園しているが、お客さんはもう余り来ない。来ても1日5~6組。それでも、たまにカンボジア人のツアーが来て、4000バーツ位お金を落としていってくれることもあるので、お店閉めてぼんやりしているよりはマシ。住込みワーカーの日給と自分達の飯代が出れば御の字だ。僕らが日本に行っている間も、いちごがある限り住込みワーカーにお店をやらせて日給分を稼いで貰うつもりだ。

お客さんは来ないが、野鳥は人気のないいちご園に数十羽もやって来て、いちごを食らう。鳥が来るのは、甘い実がある証拠。

どうせお客さんは少ないから、少しくらい鳥に食べられても影響はないのだが、習性で腹が立つから追っ払う。手を叩いたり、トタン版を叩いたりして追っ払うが、1日何十回もやっていると飽きる。

愛犬ベリーの唯一の仕事は鳥を追っ払うことだが、この頃は怠けて寝てばかりいて働かない。

そこで、YouTubeにあった鷹や鷲の声を音楽代わりに流してみた。

結果は、幾分効果あり。

鷹や鷲にも種類があって、この地にいない種類だと反応しない感じだ。いろいろな録音を流すと、時々逃げてゆく。

効果は不十分だが、手間は少ないので気に入っている。

ラムタコーンあれこれ

僕らの取水口より500メートル程の下ったところにある天然湧水プール。

誕生日の朝、行ってきました。

人は少なく、水は済んで気持ち良かった。

忍法カエル浮き。

ここは水深2メートル程。

この湧水より下流は水が涸れない。

***

それからぐっと下流に行って、国道2号線とラムタコーンが接する地点にラムタコーンカフェがある。

僕らは、こういうカプチーノの模様が未だに出来ない。

地面より10メートル位下にラムタコーンが清らかに流れていて、そこに涼しいカフェがある。僕らは、ここでコーヒーと朝食を摂った。

おそらく湧水がいくつかあるのだろう。下流に行く程、水量が増える。

一度、カヌーでラムタコーンを下ってみたい。

生贄を捧げた日2

昨日は大御所兄貴のいちご園にて、生贄を捧げる宴会に参加して来た。

但し、昨日の生贄は豚じゃなくて牛。

100kg以上ありそうな仔牛だった。

牛と言っても、タイで良く放牧されている耳が大きくて褐色の痩せ牛で、価格は8000バーツだったそうだ。

以下、かなりエグいがいくつか様子を紹介したい。

これが生贄の仔牛

屠殺の前に土地の精霊に祈ります。モン語なので何言っているのか全然分かりません。

大きな金槌で頭を打って、頭蓋骨を陥没させ意識不明にしてから、太刀で頸動脈を切って鮮血を受ける。

皮を剥ぐ。

内蔵の中で一番大きいのは胃袋。

内蔵を取り出すと、胴体部分に余り肉はない痩せ牛だ。

肝臓を取り出しているところ。

赤身と鮮血を混ぜ、包丁で良く叩いてラープを作る。牛のラープは豚のより美味。

香辛料をたっぷり入れて良く練って出来上がり。

日本では禁止されている肝臓の刺身。

コリコリでめっちゃ美味い。

出血性の毒性の強い腸内細菌が10%位の確率で肝臓から検出されるらしく、微量の細菌でも重大な食中毒になる恐れが排除出来ないそうで、ニホンでは禁止となったが、これ程美味いものは滅多にない。

僕は大昔に西表島でハブに噛まれて弱った牛から得た肝の刺身を食べたことが一度だけある。その旨さが忘れられず、昨日もたっぷり食べてしまった。

見た目は綺麗な肝臓だったが、生食すると出血性の下痢の他に、肝臓に寄生虫が付くこともあるので、お勧めは出来ない。

火を通せば大丈夫。屠殺直後、焼き立ての牛肉はめちゃくちゃ美味しい。

ステーキも沢山食べた。柔らかくて臭みのない美味しい肉だった。

先日の豚と今回の牛とで、冷凍庫は肉でいっぱいになった。当分、肉は買わなくても済みそう。

ところで、兄のいちご園は今年も不調だった。欲張って三ケ所開園したが、二箇所はお客さんが入らず、早々に開店休業になってしまった。残り一箇所もライバル農園に押されて売上は低迷。もう来年はワンナムキアオではやらないそうだ。但し、トマトを雨季にやるらしい。

5年前、この兄がワンナムキアオでいちご園を始めた。その時、マシュマロちゃんが手伝いに駆り出された。

4年前、僕らはその給料とノウハウで自分達のいちご園を持った。その時、妹さん夫婦が手伝いに来てくれた。

3年前、妹さん夫婦は僕らが払った給料と観光いちご狩り園のノウハウを持って、自分達のいちご園を開園した。僕らもカオヤイに2軒目の農園を開園した。

こんな風に兄からすべて始まり、今ではマシュマロちゃん家族以外にも多くのモン族によるいちご園が出来た。

5年前は、この地域では、いちご狩り自体が未だ珍しかったが、今ではかなり知られるようになり、お客さんの殆どがいちごを買いに来るのではなく、いちご狩りを楽しみに来るようになった。

そんなパイオニア的な兄が競争に負けて去ってゆくのは複雑な思いだ。

僕らは彼に50万バーツ超貸してあるので、出来るだけの支援と言うか恩返しはしたつもりだ。

兄には、別の場所でいちご狩り園を始めて成功するのを祈るばかりだ。

生贄を捧げた日

モン族には、昔の日本と同じような精霊信仰が根強く残っている。

大きな木や、土地や川にはそれぞれの精霊が宿っていて、彼らを怒らせないように気を使って暮らしている。

例えば、お酒やビール飲む時は、まず初めに少量のお酒を土にこぼす。それから自分が飲む。こうすることで、土地の精霊に真っ先にお酒を飲ませ、焼き餅を起こさせないようにする。

人生の重要な節目には、豚や鶏を大地に捧げる。

いちご園が終了する際に必ずやらなくてはいけないのが、土地の精霊に豊穣の感謝と来季の恵みを祈願する為に、豚の生贄を捧げることだ。これを怠ると、来季は災いが起きて大地の恵みは頂けないことになる。

そこで、今日カオヤイ農園にて、豚を捧げた。

生贄の豚ちゃんは、35kg級を3500バーツで農家から買ってきた。安いと思う。そのくらいの子供の豚ちゃんは、肉が柔らかくて美味い。体長1メートル位。

大規模養豚場ではなくて、庭で10~20頭位飼っている農家から直接仕入れる。糞尿にまみれて、余り衛生状態は良くないように見えるが、自然食の餌で健康そうな豚だ。肉は全く臭くない。

手足と口を縛ってから、首元から太刀を入れて心臓をさす。

そこから勢い良く流れ出る鮮血こそ、土地の精霊に授ける最も大切なもの。今回は、僕がその鮮血をステンレスのボールに受けた。

刺された豚は口から鮮血を勢いよく吐いたが、1分程で絶命した。

赤いゴミムシかハンミョウ、そしてハエが直ぐに集まって来る。

後で全身を開いた際に分かったことだが、思った通り、太刀は胸部大動脈と気道を切っていたが、心臓は無傷だった。もう少し深く刺さないと駄目だ。ただ、大動脈を切られて脳への血流がなくなるので、結果同程度の時間で絶命する。

この日のために、子供を含めて25名が集まった。

子供好きなマシュマロちゃんは、人の子供を取り上げておんぶ。

男は僕を含めて8名。僕以外の男達は、手際よく豚の体毛と皮膚を焼き、真皮を削ってから解体した。肺から直腸迄、全く内蔵を傷つけずに一気に取り出した。

肉を区分けして刻む者、内蔵を洗って食べられるようにする者、火を起こして肉を焼く者、見ていてビールを飲むだけの者(僕)など、誰の指示もないのに分業作業は捗る。

マシュマロちゃんの兄が僕に、この豚でどんな料理が食べたいか聞いてきたので、僕は大好物のラープと答えた。

モン族特有の生肉、生血料理で、一見危なそうだが、危なくなく実に美味なのだ。

使うのは、赤身、屠殺した時に受けた鮮血、30種類以上のハーブ、塩、味の素。それを良く混ぜて、茹でた肝臓や肉を加える。

赤身に鮮血を加え、徹底的にミンチにしてこねる。

ハーブや具を加えて出来上がり!

血も滴る美味しさ。野菜の葉の上に、適量を載せて、巻いて食らうのがスタイル。

全く血生臭くない。脂臭くもない。最高の味。豚を解体したその日じゃないと食べられない貴重な料理。日本は一日寝かせた肉しか食肉市場から出せないので、日本じゃ食べられない。

これを食べたことのある日本人は少ないのではないか。

尚、上は僕用に唐辛子を少な目にしたもの。1kg位僕用に取ってから、残りは皆さん用に唐辛子をたっぷり加えた。

彼らは、内蔵等、寄生虫の危険性がある部分は必ず火を通して食べる。だから、肝臓の刺身は食べない。

朝9時半に殺して、10時から、3時迄宴会。

連日の雷雨で、すっかり新緑になった裏山。

住込み野郎故郷に帰る

顔も頭も悪くて、物凄く汗臭いので、皆から嫌われていた住込み野郎が、僕の誕生日の朝に故郷のチェンマイに帰って行った。

前日の夕方、感謝の印か、ビール缶一本をご馳走になった。僕が奢ったビールは軽く100本を超えるが、お返しはたったの一本だった。

彼は、タイの最下層の中の最下層に属する人間で、僕を裏切ったお馬鹿幼妻からも、嫌われていたし馬鹿にされてもいた。

マシュマロちゃんも大嫌いみたいだった。

しかし、彼は僕の右腕として唯一2年働いてくれた野郎だ。

教育はゼロで、蓄膿症で脳みそが腐っていたものの、あれやれこれやれと言う僕の命令をそれなりにこなしてくれた。

流石に2年間もやっていれば、ポンプやウォーターシステムのことや、肥料のことや、いちごの世話のことはマスターしてくれて、細かいことを言わずしても自分で問題点を見つけて対応出来るまでに育っていた。

何故か皆は、彼の性格が悪いだの、お金を盗むだの、ヤーバーをやってるだの、女たらしだのといろいろ言うが、僕は彼が大好きだった。毎朝オッスと挨拶するのが気持ちよかった。

また、僕が自分でやるには力が足りないとか、面倒くさいとか、汚いからやりたくないことは、何でも彼に言いつけてやってもらった。彼は嫌な顔せず良く働いてくれたので、大切な右腕だった。

彼に言わせれば、性格が悪いのは自分で、そのお陰で妻に嫌われた。妻は性格が良く教養もあって自分には勿体無いくらいなのに、自分の性格が悪くて不幸にしていると嘆いていた。

確かに、少ない稼ぎなのに、ビールを隔日で飲んでしまったり、タバコを止められずに毎日一箱買ってしまったりで、奥さんへの仕送りが低迷した。そういう自我のコントロールが出来ないのは難点ではあるが、そういう僕も酒やタバコも止められないのは同じだし、女好きなのは僕の方が上だ。

毎日のように、閉店後に彼にビールを買いに行かせ、半分彼に上げて一緒に飲めば、疲れも癒やされた。

彼は蓄膿症の為に発音が鼻に掛かり、何を言っているのか7割は分からないが、何となく言いたいことは分かるし、どうせ大したことは言ってないから聞き流していた。

彼の名誉の為に言うが、100バーツ以上のお金をチョロまかしたことはない。ヤーバーもやってない。お金が無いので浮気もしていない。

一ヶ月14400バーツの給料のうち、平均で50%を奥さんに送金していた。

全部飲んじゃって送金してないとか、他の女に送金してるとか皆は言うけど、僕自身が彼に頼まれて奥さんの口座に振込んでいたのだから間違いはない(と思う)。

残りを7000バーツとすると、一日平均で233バーツになる。3度の飯と、彼の好きなコーラとコーヒーをミックスした飲料水と、タバコとたまのビールを考慮すると、残るお金はゼロ。給料日前になると、タバコもお酒も飲まないので、お金が尽きていたのが分かる。

僕は僕なりに大切に扱ったと思う。彼も帰り際にしきりにキットゥンと言っていた。

来年は、韓国に出稼ぎに行って、しっかりお金を貯めたいから、もう僕のいちご園には来ないと言っているが、どうせ悪徳ブローカーが嘘のビザで送り込んで、たんまりピンハネするに決まっているし、最近の韓国の経済が最悪だから、止めといた方が良いんじゃないと言っておいたが、どうなることか。

行くにも70000バーツ程の準備金が要るそうだから、きっと一生行けない気もする。

行けなかったら、喜んでまた使ってやるから安心しろ。今度はもっと大切にしてあげるからな。

お前がいないと、僕一人じゃ何にも出来ないから。

嵐の傷痕2

先日の嵐で、ワンナムキアオは猛烈な突風が吹いたようだ。

マシュマロいちご園の周りは、至る所で大木が倒れ、看板や屋根が吹き飛ばされていた。

白川郷からインスパイアされたハムケン傑作のお店は、柱が折れて1階部分が倒壊したが、屋根の部分の構造は保たれたため、それが支えになって、店の中の大事なものを守ってくれた。

1階部分が潰れるも、屋根が支えとなって空間が保たれた。

屋根裏のスペースに人が入れた為、片付け作業ははかどった。

冷蔵庫がひしゃげている。でも、上部にあるコンプレッサーと放熱板は無傷だった。前面の覆いと操作板は駄目になってしまっていた。

割と高い水タンク(青)も潰れずに済んだ。

アンプ、スピーカー、CCTV、ブロードバンドルーター、ブレンダー、そして一番高いエスプレッソマシン等、電化製品は全て無事に回収出来た。回収後の動作確認はしてないが、見た目概ね大丈夫そうだ。

この散乱したライチの木の枝は、全て嵐が折ったもの。

下の池ポンプから水が揚がって来なくなったので、もう入りたくなかった森に入ってみたら、大木が倒れていて、何処からか飛んできた長い板材が当たって、太さ1センチ程のアルミニウム電線が2箇所でブチ切れていた。

森の中は嵐の傷跡で歩き難かったが、ワーカーが良く働いてくれて、無事電線を修理出来た。

月火と2日間通って、概ね片付けられたので、マシュマロいちご園は今期終了とし、胃のない子供の住込みワーカー夫婦が住んでいた掘っ立て小屋にあった少ない家財道具とともに、今日カオヤイに引っ越して来た。

明後日、還暦の誕生日を迎えるのに、当面赤座布団で悠々自適にはさせて貰えそうにない。

嵐の傷痕

なかなか纏まった雨が降らず、水涸れも危機にあったところ、神様に願いが通じたのか、凄い嵐が来た。

本日正午頃、雷鳴が響き風にみぞれが飛ばされて来たので、「これは嵐になるぞ」と呟いて、お店の後ろと両脇のロールシャッターを降ろした。

雨脚が強くなってきたので、お客さん用の麦わら帽子やいちご狩り用のバスケットを急いで店の中にしまった。

その時、強風と豪雨が来た。雨風は店の中迄吹き込み、外の大きな日傘が全部吹き飛ばされて行くのが見えた。

雨は瞬く間に地面に川を作り、いちご園の排水路は濁流になった。それでも排水は追い付かず、ものの20分でいちご園の畝間に水が溜まった。

絶対壊れないと思っていたKHAOYAIのパネルのYが折れた。

写真では見えないが、全体に後方に傾いてしまった。

それよりも僕の心が折れたのは、来期を掛けたいちご新品種の小苗の被害だった。

強い雨が培地を跳ね飛ばし、小苗の根を掘り起こした。

下が嵐前

それが嵐後には、こんなことに。

洗い出された小苗 なくなってるじゃん!

根が洗い出されて、このまま陽に当たったらお陀仏。

下が嵐前。

それが嵐後には、

割と大きく根が張っていた苗は枯れはしないと思うが、小さい苗は洗い出されてしまっている。

これだから、タイでの育苗は難しい。突然襲って来る僅か30分余りの雨で壊滅的なことになってしまう。

日光の強さも、雨の強さも桁違いなのだ。

強い風にも吹き飛ばされず、強い日光にも耐え、雨は通さないが日光は通す育苗ハウスが欲しいが、そんなもの出来る?

来期を掛けた試みなのに、たった一度の嵐でこのざまだ。自然の力に圧倒されて、僕の心は疲労感でいっぱいになっていた時、ワンナムキアオから更に驚くべき知らせが届いた。

「ハムケン! 大変だ。マシュマロいちご園の店が倒れた! だけど、俺は未だ死んでない。」

なんだって!!

その後、写真が送られてきて、事の重大さに唖然とするばかり。

もう説明不要。

この嵐の傷痕を見てくれ。

強風で丸太の柱が折れて倒壊したらしい。

運良く、エスプレッソマシンは壊れなかった屋根の下。冷蔵庫2台と冷凍庫の安否は不明。

しかし、何より幸いだったのは、倒壊時誰もお店に居なかったことだ。

お客さんも閑古鳥で居なかった。雨宿り客も居なかった。

マシュマロちゃんの友人のノックもウドンに帰って行ったので働いて居なかった。

住込み夫婦も、胃のない子供も、掘っ立て小屋の方に逃げ込んでいたので居なかった。

人的被害が出なかったのは、不幸中の幸いだ。

この店は、今期で使用終えて、来期用に建て直すつもりだった。つまり、壊す手間を掛けずに壊れてくれた(屋根部の片付けは残っているが)。

しかも、丁度シーズンオフで、もう辞めようかと思っていた矢先。これがシーズン中だったら、突貫工事で再建しなければいけなかったところだが、丁度良いタイミングで壊れてくれたので、終了の踏ん切りが付いた。

悪いことと言ったら、明日仕事を終えてチェンマイに帰る予定だったカオヤイの住込み野郎が、ワンナムキアオの後片付けの為に帰れなくなったことくらいか。

ともかくも、明日後片付けに行ってくる。

行く前から疲れた。

夏の黄色とシーズンオフ

今週前半、ワンナムキアオのマシュマロいちご園で働いてくれていたマシュマロちゃんの友人ノックが仕事を終えて、故郷のウドンタニに帰って行った。

彼女は一人でお店をやり繰りし、コーヒー等も作り、お客さんが来ない時は、いちごの葉がき等、諸々良く働いてくれた。いちご園に来てから休みは一日も取らなかった。

彼女には休日出勤分も含めて、月20000バーツ程支払い、且つアパートを提供した。電気水道代も僕ら持ちだった。

ノックは彼氏は居なく、殆ど遊びも旅行も買い物もしなかったので、数ヶ月の給料はほぼ丸太残ったことだろうと思う。

一緒に旅行にでも連れて行って、彼女の貢献に感謝しようと言っていたのに、忙しさにかまけてそれも果たせず、僕は挨拶も出来ないうちに、彼女は一人帰って行ってしまった。

マシュマロいちご園には、もうお客さんは来なくなり、今月一杯で今期終了とする予定だ。

一方、カオヤイの方は、一人残った住込み野郎が、いい加減に仕事に飽き飽きして来て、恐らく来月1日にチェンマイの田舎に帰ってゆく。

彼も良くやってくれた。2年に渡り農園を世話したので、今や勝手知ったるで、いちいち細かい指示を出さなくても、ちゃんと自分で判断して働いてくれたので、僕としては貴重な右腕だった。

他のいちご園のいちごが、スリップスやダニにやられても、うちのいちご園のいちごは青々と美しく、この時期になっても尚いちごが実っているのは、彼のお陰と言って良い。

来月からは、ワンナムキアオのマシュマロいちご園に住み込んでいたワーカー夫婦がカオヤイに引越して来ることになっている。

カオヤイでは、4月の水掛け祭りソンクラーン頃に、第3波か第4波のいちごがなることが分かっており、少なくとも4月の中旬迄はいちご園を続ける。(ホント、ソンクラーンの糞暑い時期にいちごがあるなんて、誰も信じないでしょうが、あるんです。それも甘くて大粒が)

同時に、四季なり性がありそうな新品種の育生に励む。僕個人はそこに掛ける。年末年始にいちごが沢山なっていることが勝敗を分けるからだ。

また、余った場所で、ピーマンと唐辛子を栽培してみるつもり。

さらに、お店は土日のみオープンして、喫茶部と他に何か軽食をやる予定。

軽食としての候補は、シューマイ、焼きたてパン、中華風バーミー、親子丼等を考えているが、未だ考えは纏まっていない。ただ、これらは飽くまで試行錯誤であって、今期からの利益は期待していないが、楽しみでもある。

日雇い労働者じゃなくて、将来を任せられるような人材を見つけて育てなければ。

ゴールデンシャワーことラーチャプルックが満開で、真夏を迎えたタイ。

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サラリーマンはもう飽きた。気がつけば人生の残りも僅か。ここはひとつ、窮屈な日本を抜け出し、活力あるのにどこかゆる~いタイを舞台に、自分らしい第二の人生に旅立つことを決めてしまった50代親父。

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