B型肝炎の元ワーカーの状況

三日前、一日掛かりでコラートのマハラット病院に見舞いに行って来た。

病院に着いて奥さんに電話するも電話は繋がらない。バッテリーが無くなっているのか、プリペイドの通話料金が無くなっているのか、話したくなくてブロックしているのか知らないが、ともかく繋がらないので何処に行けば良いのか分からなかった。

病院には入院患者を見つけてくれる受付があって、そこに行って探して貰ったのだが、何しろ滅多に使わない本名の発音だけが、大病院の中で患者がどこに居るか探す手掛かりで、それでは見付からなかった。

受付の女性はプロで、

「焦らないで気を沈めてね。きっと見つかるから。」

総合受付のデータベースでは見付からなかったので、男性感染症の病棟に移って、そこでまた検索してくれた。

「HBV感染の26歳の男性患者で、入院は26日。パクチョンナナ病院から搬送されました。」

という情報を追加して、待つこと30分。

「有ったわ! 26歳。名前はXxxxx。」

と受付の女性は嬉しそうに叫んだ。

名前はかなり違っていたが、一部分似た発音部分があった。

「この病棟の7階のXXに居るわ!」

「ああ、まだ死んでなかったんだ」と僕はホッとした。

(この一件があったので、新しい若き住込みワーカーのIDカードの写真をアーカイブしておいた。)

病室はICUで面会出来ない時間帯だったが、医師の注意を遮ってICU内に侵入し、ワーカーを探した。

ICUといっても、大部屋で100床くらいあって、廊下やエレベーターホールまでベッドが溢れかえっていた。

エイズ末期のような若い男性から、がん末期のような老人で歩くスペースも無いくらい。

その時、ちょうど二人が呼吸停止で、医師が心臓マッサージをしていたが、割と直ぐに止めた。

そこに居た別の患者さんのお見舞いに来ていた奥さんは、

「そこにも、もう二時間も目を見開いたまま瞬きもしない人が居るのに、看護婦も医師も何もしないのよ。」

と言っていた。

まるで戦場の様だった。

マシュマロちゃんは、

「死ぬような重い病気になっても、公立病院には来たくないわ。」と言った。全くその通りだと思った。

元ワーカーは、まだ意識があって、

「お母さん、お母さん!」と10秒程館内に響き渡る程の大声で苦しそうに泣き叫んだ後、意識が朦朧として白目になり静かになり、それから数秒後にまた同じように、「お母さん、お母さん!」と子供のように泣いていた。

ワーカーの鳴き声は、広い大部屋に響き渡る程で、聴くに耐えなかった。

意外にも妻や子供の名前は呼ばなかった。

彼は僕らが来たことには気付かなかった。

不思議だったのは、そこに奥さんと子供が居なかったことだが、数時間後に患者の両親が病室に来て、話をすることが出来た。

病状に関しては、両親はまるっきり理解出来ていなくて、さっぱり分からなかったが、奥さんと子供が病室に居ない訳は、医師が感染を心配して介護を禁止したのが理由だと分かった。

ワーカーのお母さんは、大量のお粥を持って来ていた。肝臓を休める為にも絶食が良いんじゃないかと思ったが、ワーカーは美味しそうにいっぱい食べた。

「お母さーん!」と泣き叫ぶ度に、お母さんは息子のほっぺたを優しく叩き、

「母さんはここにいるよ。ご飯食べなさい。」と言って、口にお粥を運んだ。

その声や母の気配は感じているようで、お粥を美味しそうに食べた。その食欲に少し希望の光を見た。

耳は聴こえるが、眼は見えて無いようだった。

彼は、血漿成分をものすごくゆっくりと点滴されていた。

導尿されて、真っ黒くて血の混じった尿が袋に200cc程溜まっていた。

彼のB型肝炎ウイルスは母から貰ったものなので、医師も介護を許していたようだった。

その後、彼がどうなったのか僕は知らない。

彼らの荷物や車は、既にいちご園の新居から持ち去られていて、もうこのいちご園に来ることはないように感じた。

多分、此処に来た事が災いの始まりと感じて、逃げるように去って行ったのだろうと思った。

その新居には、数日後に新たに来た若い夫婦が住むことになる。(今は一時的にショップに寝泊まりしてもらっている。)

もし彼が来たら、それがピー(精霊)だったとしても、一緒にビールでもう一回乾杯したいと思っている。

現在のタイでは、B型肝炎ワクチンはすべての乳児に接種の機会が与えられているそうだが、いろいろあるワクチンのうち、どれを接種済みなのか把握している人は少ない。

新たに来た住込みワーカーにも、病気は無いか聞いたが、

「何にも無い。健康そのもの」という頼もしい返事が帰ってきたが、B型肝炎の検査のことを聞いても、何のことか分からないとの返事だった。

何の罪も無さそうな幼妻の笑顔が、小雨の農園に希望の光を落としていた。

魚の放流

タオ島に遊びに行っている間に雨が山に降ったらしく、ラムタコーンに久々に清流が戻って来ていた。

そこでカオヤイ農場の溜池に新しく設置したポンプでラムタコーンから水を汲み入れ、魚を放流することにした。

マシュマロちゃんから、何のために魚を放流するのか聞かれたが、池を魚でいっぱいにしたかったから。

強いて言えば、魚を入れることで生態系の循環を良くし、水の浄化を促すこともある。

ただ、魚が泳ぐ池を見たかったからというのが大きい。

魚は養魚場からプラニンと雷魚の幼魚を仕入れる予定だったが、養魚場がどこにあるのか調べられなかったので、方針を変更して、チャトチャックのオートーコー市場で見た目きれいな魚を買って来て放流した。

放流した魚は、

グッピー 100匹 100バーツ グッピーは以前も入れたが、より綺麗なブルーの物を入れた

ベタ 100匹 100バーツ

緋鯉(15センチくらい) 6匹 200バーツ

放流は夜になってしまったので、翌朝池の魚を見に行った。

しかし、放流した魚は見当たらない。

その代わり、今まで放流していないウグイのような魚が数匹、30センチもあるようなナマズのような魚が一匹。それと、メダカかかなりの量見つかった。

誰かが放流した魚なのか、以前から住んでいた魚なのか分からない。

僕が昨日放流したのは、彼らの餌になったのか?

池には無数のトンボやミズスマシ、野鳥がいる。

ここを憩いの場所にしたい。

もう辞めた。そうだ、タオ島に行こう!

日曜日。午前中に新しいポンプを使って、ラムタコーンから溜池に水を送った。

僅かに溜池の水位が上がったかのように見えるが、大きな変化はなく、使えたとしても一日分あるかどうか。

新ポンプの設置は最後の賭けだったのに、ラムタコーンの上流からの水は来ず、川から水はもう汲めなくなってしまった。

いちごの方は結構な数が成り出したのに、そして日曜日なのに、どう言う訳かお客さんは疎らだった。

『数日前に近所に住む日本人女性がいちご狩りに来て、その様子をブログに書いてくれた。そのブログはここ。』

ソンクラーンが過ぎて、皆の行きたいところは海に代わり、カオヤイに来るのは外国からの観光客だけ。

がっかり。

しかし同時にいちご売りももう飽きた。ブアレーオ。

もう嫌だ。もう辞めたい。

折角、頑張って新ポンプを設置したのに、いちごに水がやれない。やれたとしても今日まで。明日はきっと水が無く、いちごは萎れる。

「ああ、もう飽きた。もういちご園やめて、僕らも海にでも行きたいよ!」そう言うと、

「辞めちゃいましょうか? タオ島に行きたいって言ってたわよね。お店閉めて今からタオ島とサムイ島に行きましょうよ!」

何時も仕事に真面目なマシュマロちゃんが意外な反応。

「でもなあ、いちご勿体無いよなあ。」

「水は無いし、お客さん来ない。どうせ売れないから勿体無くない。もう辞めましょう。」

「そうだよな、もういいよな。今まで休み無しで良く頑張ったよな。ポンプは来期使えるしな。それに、今から行けば、まだ海は荒れてなくて綺麗らしい。来週じゃ、どうなるか分からない。」

昨日から来ていた友人たちが帰った1時間後、僕達は突発的な方針変更を決意し、慌てて店を片付け出した。

お店を閉め終わったところにファランとタイ人妻の家族がいちご狩りがしたいと言って来た。

「はい、どうぞ、どうぞ。今日は沢山いちごありますよ。しかもタダ。もうお店は閉めたので、好きなだけ持って行って下さあい。お金払わくて良いです。」

そう言って、お客さんを残して僕らは家にシャワーを浴びに帰った。

まだホテルも渡船も予約してない。それは、行く途中に車中で計画すれば良い。行き当たりばったりである。

家を出たのは午後一時。

マシュマロちゃんがヤリスを運転し、僕がネットで諸々調べた。

その結果、次の計画となった。

1日目:車を飛ばし、チュンポーン県のLomprayah桟橋付近の宿で一泊。到着予定時刻は午後10:30。

ホテルはアゴダで予約。Starlight beach resort 1300バーツ。

寝るだけなので、どんなホテルでも良かったが、そこがアゴダで一番近い順浜辺にあった。

2日目:翌朝、7:00 ロンパヤーLomprayah桟橋 高速カタマランでタオ島に。片道一人600バーツ。8:30タオ島到着。この行き方だと、スラタニーからフェリーで渡るよりずっと早く行ける。

タオ島のホテルはマシュマロちゃんが気に入ったBeach Club by Haatian。島の南端シャーク湾のティアンビーチに在る。船着場から送迎がある。アゴダで予約。一泊3500バーツ。ここで二泊。

4日目:朝 10:15 高速カタマランでチュンポーンヘ。午後ひたすらカオヤイに向けて走り、夜の9:30に帰宅予定。

翌朝は朝6:00にマシュマロちゃんはチェンマイに向けて出発しないといけないので、このスケジュールとなった。残念ながらサムイ島は次回ということに。

まさかの水切れ 新ポンプ設置

先週の金曜日。

池からの水で乾いたいちごに水やりしていたら、何故か急に水が出なくなった。ポンプの消費電力を見ると普段より少ない。

「ポンプが空気吸って空回りしてるな。」

そう思って池に移動したポンプを見に行ったら、

あれー! 池の水がほとんど無い。吸水口が干上がった土の上にあって、小さくなった池の水深は約20センチしかなかった。

まさかの水切れ!

給水口を池の奥に押して、取り敢えず水が吸えるようにしたが、この水量じゃ今日一日で使い果たしてしまう。そうすると、池の魚達も死んでしまう。

放流したグッピーは見つからなかったが、自然に湧いて来たメダカのような小魚やカエル、水生昆虫がいた。

この水は涸らしたくないと思った。

こうなったら、ポンプをラムタコーンという沢に戻して沢の水を使うしかない。

しかし、沢を見に行ったら、そこにも水は僅かで、もう殆ど流れていなかった。

さて、どうするか。

川から直接水を取ると、泥で濁ることがある。一旦池に溜めて、池から取水すると、泥は沈むので丁度良い。

そこで、どうせならポンプを移動するのではなくて、新しいポンプをラムタコーンに設置して水を池に送り、移動済みのポンプでいちご園に水を送るという二段構えのシステムを構築することにした。

金曜日に必要部材を購入し、土曜に設置作業を行った。

ポンプや部材は全部自分で選べるようになった。

ボルト止に盗難防止のチェーンで固定。

象の鼻で取水口を川に設置。水深は25センチ。上流から水の供給がなければ、一日分しかない。流れは既に見えないが、川底から水が来ていればもう少し使えるかも知れない。

上が池方向。右がいちご園方向。

池にも水を落とせるし、直接いちご園にも送れるように接続。

これでより柔軟に水が取れるシステムになった。

この作業中に友人が来て、手伝ってくれた。一人だとなかなか捗らない作業も二人三人で知恵と力を出し合って上手く進む。

これで川に水さえ来れば、いちごに水を与え続けられる。

水が来なければ、、、、一日分余分に水が確保できるのみで、来週分は無く、いちごは枯れる。

新ポンプに7000バーツかけた。設置に2日。

水が来なければ全て徒労に終るが、最後の最後まで出来ることはやる。そうするときっと道が開ける(こともある)。

いちご園 終了1

ワンナムキアオに在るマシュマロちゃんの兄さんと妹さんのいちご園が今日閉店して、皆チェンマイの天空の村に帰っていった。

先週には親戚組が帰っていったので、残ったのは僕らだけになった。

昨夜は、ご苦労さん会という事で、僕のおごりで皆で夕食を共にした。

このブログの読者なら知っているように、僕等が2つのいちご園をやってこられたのは、彼らの助けがあったからに他ならない。例えば、池にポンプを設置するのも、僕は何も出来ず、殆ど全て彼らにやってもらった。

頼りない主だが、マシュマロちゃんの彼氏だし、彼らのお父さんよりも年上だし、野良仕事なんか出来る訳ない日本人ということで、損得抜きで皆でサポートしてくれた。このことは、今の日本では有り得ないと思うほど文字通り有り難いことだ。

今日は、マシュマロいちご園のポンプを引き上げと冷蔵庫を倉庫に仕舞う作業があったので、昨夜手伝って貰うことを頼んで、今朝9時にマシュマロいちご園に行ったのだが、着いた時にはもう既に全てが完了していて、僕は何もすることがなかった。

ポンプの引き上げと言っても、ボートに乗ったり、池を泳いだりしないと出来ないことは知っているので、簡単なに済ませられることじゃない。大いに恐縮した。

家族は助け合うという基本が、彼らの中に息づいている。

僕が日本で築けなかった素晴らしい家族の絆がある。その絆の中に、自分も入れてもらえたことが有り難い。

マシュマロいちご園のいちごは、給水を止めたので完全に枯れていた。

もう誰も立ち寄ることはない。

カオヤイいちご園は、実に奥手で、ようやく第三波、第四波の実が赤らに始めた。

なので、本日すべて終了する予定だったが、週末を中心にもう少し粘って見ようと思う。

ソンクラーン休みは、思ったほどタイ人観光客は来なかったが、バンコク在住の外人(日本人を含む)がたくさん来た。いちごが成り出したこともあり、今月は今までに40万円くらいの上がりがあった。最盛期の一日分足らずだが、休暇をちょっと豪勢にするには貢献した。

とにかく、今日は一区切りの日だ。

思えば去年の8月から休みなく頑張ってきた。

辛い時もあって、マシュマロちゃんとももう終わりかなと思ったことが何度もあったが、なんとかここ迄やって来れたのはラッキーだった。

彼女も僕も、一時は10Kg近く痩せていたのに、今は体重が八割方戻って腹も出て来た。

これから暫く休暇モードで凄そうと思う。

ともかく、来年もマシュマロいちご園とカオヤイいちご園はやります。

ソンクラーン迄にいちごの波は 来なかった。

2週間前に沢山第三波、第四波の花が咲いて、ソンクラーンはいちごラッシュでウハウハの予定だったが、蓋を開けてみたら、いちごが全然ない!

今月初めからの度々の雨で傷んでしまったのだろうか? 誰がが全部採ってしまったのか? なんだか良く分からないが、ソンクラーン迄あと3日しかないのに、1センチ程のまだ緑色の小さないちごの子供しかない。

花は沢山咲いているが、小さな白い実しかない。花と小さな白い実なら沢山ある。

この時期、他のいちご園は殆ど終了して閉めて帰ってしまった。ワンナムキアオのマシュマロいちご園もスリップスにやられて終了。ポンプ電源もコワレテ、いちごはあと数日で枯れ草になる。

それに対して、僕のカオヤイ農園は、花と小さな実から推察して、あと2週間でいちごラッシュが期待される。

ソンクラーンのタイミングを逃して駄目娘ちゃんだが、ここまで来たらもう一度いちごの大波を観てみたい。

バンコクのパクローン市場にあるいちご卸もみんな店を閉じて日本に遊びに行ってしまったので、もうバンコクからは誰も仕入れられない。

それもそのはず、生産地のチェンマイいちご農家が、今月初めからもう収穫を辞めてしまったのだ。

チェンマイでも、バンコクでも、ワンナムキアオでも、いちごはもう終了。なのに、僕のカオヤイ農園は今頃花が咲いている。

誰もが止めてしまったこのクソ暑い時期に、果たしていちごが成るのだろうか?

ソンクラーン迄に水枯れは起きなかった

3月下旬にラムタコーンの水が涸れて、溜池に水源を移した。

涸れた川は、雨季入りまで涸れっぱなしだろうと思っていた。

ところが4月上旬に度々の夕立があり、ラムタコーンは清水をたたえ、せせらぎを伴う豊かな川になった。

当初から渇水対策を考えてきたが、結果的に今年は必要なかった。

豚の生贄再び カオヤイ農園にて

マシュマロちゃんの兄の所で生贄は捧げたし、豚肉はまだ山ほど余っていたので、カオヤイ農園ではもうやらなくても良い、やりたくないと思っていたが、やはりそういう訳にはいかなかった。

「やるなら小さな子豚にしようよ。」と僕は言った。

「私は子供じゃないのよ。ちゃんとしきたり通りやらないでどうするの? あんた、意味が分かってないんだから、余計なこと言わずに黙ってて!」

そう言われて、酷く不愉快な朝だった。

モン族の精霊信仰も生贄も、日本人元エリートサラリーマンの俺の知ったことじゃない。出来れば、そんな残酷で無駄なことやりたくない。

ただ、彼女の文化を尊重して、已む無く寛容に従っているだけなのだ。それなのに、馬鹿にしたような口振りで気に食わない。

豚はワンナムキアオの個人で豚を飼っている農家に買いに行った。しかし、親父が不在。女将さんは勝手に売れないと言う。おやじさんがいるという所に車で探しに行ったが見つからない。

仕方なく別の農家を訊ねた。そこにはまだ2か月程度の体重35kgくらいの子豚しか売れる豚はいなかった。

連日の豚肉料理に皆さんげっそりしていたこともあり、

「これくらいで丁度いい!」ということになった。

38kg 2500バーツで購入。キロ当たり68バーツ。僕らが売るいちごよりずっと安い。

豚の耳を引っ掴んで、この鉄檻に入れる。あとはピックアップの荷台に載せて運ぶだけ。

カオヤイ農園では、バスケットとネムの木の枝で神棚を作った。

お茶をお供えし、お線香を炊いて、訳の分からない呪文を謳う。お茶でなくて、お酒でも良い。

地面に膝ま付いて、お祓いに使う白い短冊のようなものを燃やす。

日本の神道に似ている。

続いて、豚の足と口を縄で縛る。このときは、豚が死にものぐるいで暴れ、キーキーと恐怖の鳴き声をたてて怖かった。

この後、神様が怒ったのか、激しい雷雨になって一時中断。

約1時間後、雨は上がり、やっと生贄を捧げる時が来た。

身動き出来なくなった豚の喉にナタ包丁を入れ、そのまま心臓を突き刺す。

心臓からの鮮血をどんぶりで受ける。

上手く心臓に刺されば数分で絶命するはずだが、このときはなかなか死なず、長く意識があった。兄は、もう一度心臓を刺したが、肺か気管を傷つけたらしく、豚は咳き込み口からも血を吹いた。首の傷口からも血の泡が出た。

可哀想に子豚は死ぬ迄にかなり長いこと苦しんだ。土地の神様は満足しただろうか。

どんなに苦しんで死んでも、一度絶命してしまえば、もうただの肉の塊である。

毛と表皮を焼き取る為の火あぶりの刑に処しても、もう痛くも苦しくもない。

焼夷弾やパナーム弾で大火傷を負い、皮膚が剥けて垂れ下がった人の写真は見たことがあるが、豚も同じだった。皮膚と体毛は鎌で擦り取って綺麗に無くなった。

肉になった豚をカオヤイの借家に持ち込んで、宴会の始まりである。

今夜は、ちょっと洒落てバーベキューとトンカツがメインディッシュ。

超新鮮な豚肉は本当に美味しい。買ってきた肉とは大違いだ。

子豚だったが、それでも食べきれずに肉を山分けして持って帰ってもらった。僕の冷蔵庫は豚肉でいっぱいになった。

「だから子豚で良いと言っただろ!」

余った肉は煮込んでチャーシューにして見ようと思う。

古今東西いろんな神様が生贄を欲しがるが、ほんとに欲しがっているのかどうか疑問もある。死んで神様に会えたら聞いてみようと思う。

社長さんの納豆

和僑会で知り合った小松電機社長の小松さん。

年商15億円とかで、半分隠居で自由気まま。

彼はバンコクの納豆が古くて不味いのを嘆いて、それなら自分で作ってしまおう! と企業内起業した。

日本の新鮮な納豆をタイに! と言うことで、電機とはまるで関係ない納豆の製造を始めた。

最初は色々な壁にぶち当たったらしいが、今では日本人が行くスーパーなら何処でも売られている。

その名も、「社長さんの納豆」。冷凍していません! 新鮮です。

在タイ日本人なら知っていることだろう。

ところで、納豆菌が元気な新鮮な納豆を食べると、日本人は腸の調子が良くなる。

慢性の下痢が止まるとか、逆に便秘が治るなどなど。

実際に納豆を食べると、納豆菌は大腸で増えて、便の中に大量に出てくる。

もう四半世紀前の話なので時効が成立しているだろうから白状すると、当時僕はカルバペネム系の強力な抗生物質を開発していて、その第一相臨床試験の被験者に自らなったことがる。当時は社員でも第一相臨床試験の被験者になれたのだ。

それで詳しいことは割愛するが、ウンチの中の菌を全部調べる訳。だから納豆やチーズやヨーグルト等の発酵食品は禁忌だった。

しかし不良少年Aは掟を破って納豆を食し、納豆菌が大量に出たのでバレバレで注意されたが、食べてないよとしらばっくれた。

2回目のトライの際はバレることが分かったので、大人しく納豆を避けたが、今度は有毒のClostridium difficileという悪玉菌が出てしまった。

ともかく、栄養源として以外に、健康の為に納豆を食べると悪玉菌を抑えて腸の調子が良くなるのである。

話を戻すと、僕と同じ頃に起業して、フェイスマスクを輸入販売していて、トップマートにも卸していたのに、そろそろ損益分岐点を超える辺りで会社を売却して辞めてしまった方が居る。

その方が、現在は小松さんの所で営業を担当して働いている(納豆の営業ではありません)。

僕とはバンコク時代に何度も飲んで、タイ人の愚痴を言い合ったものだった。

その方が、カオヤイ農園に来てくれることになった。

僕は社長さんの納豆を売ってみたいと思ったので、彼に頼んで3つ入パックを36個持って来て貰った。

いちごジュースの横に納豆を置いて反応を見た。日本在住経験のあるタイ人が喜んで一パック買って行ったが、それっきり全く売れなかった。

特に宣伝もせず、試食もせずで、置いてあるだけだったので、売れるはずもないが、賞味期限の1ヶ月が過ぎて、水も入り汚くなったので、回収して僕の借家の冷蔵庫の中に収めた。

そういう訳で、家で夕食を食べるときは、何時もこの納豆を食べている。水が入ってネバネバが凄くなった納豆でも、腐っている訳ではない(と言うか、元々腐っている)。なので十分美味しく食べられる。

時には、納豆に醤油を掛けて納豆ご飯だけの時もある。ご飯は、タイの高級米ホーンマリでないと駄目。

これが懐かしくて美味い。

食べるとウンチが臭くない。すこぶる快便。

社長さんの納豆は値段も安く人気があるが、儲かっているのかどうかは不明。社長さん曰く、「儲けが目的じゃないからこれで良い。」

なんでも再度製造施設を増設するそうだ。

残念ながら、いちご園で売ることは難しそうだが、僕の腹にも納豆菌が良いと確認出来たので良しとした。

ブタの生贄 血の宴会

マシュマロちゃんは仏教徒だが、それ以前にモン族古来の精霊信仰がベースにある。彼女の家族も皆同じ。

精霊は至る所に居る。古い大木、神秘的な池、山、川、岩、或いは家の中に住んでいる。

ちょうど少し前の日本と同じだ。

精霊を怒らせてはならない。精霊を敬わないと、災いが起きる。

お酒を飲むときは、最初に少しだけ地面にこぼし、土地の精霊に施してから飲む。

モン族のそれと同じかどうかは知らないが、精霊信仰はタイ全土にある。大きなカジュマルの木に赤や黄色の布切れが掛かっていて、下にお供え物がたくさん置いてある場所を何度も見たことがあるだろう。あれは悲恋の死を遂げた女の精霊が宿っているらしい。

さて、いちご園もシーズンオフとなり、今季の無事に感謝し、来季の繁盛を精霊にお願いしないといけないが、その為には豚をその土地の精霊に生贄として捧げて祈願しないといけない(のだそうだ。)

モン族の家族に言わせれば、これは絶対にさぼってはならない行事で、さぼりでもしたら、精霊の怒りに触れて、繁盛どころか災難に会うだろう(とのこと)。

最初に、彼女の兄の所で生贄は捧げられた。

僕達ももちろん呼ばれたが、少し遅く行ったので、到着した時には、既に生贄の豚は絶命していて、解体されつつあった。

豚は近所の養豚場から直接仕入れた67kgの白豚。約5000バーツ。

ちょうど内臓が全部外されて取り出されたところ。

胸部と頭部を切り離した。彼らが日頃使うナタ包丁は非常に鋭く硬くて骨まで綺麗に切れる。まるで日本刀の様。

見慣れた肉片に近付いてきた。

早速、小腸を洗って茹でて食べた。

バラ肉も細かく刻んで焼肉とムーカタに。

長老の僕は何もせずにビールを飲みながら見ているだけ。

彼らの肉裁きは決して上手くなくて、余っていたナタ包丁で僕も裁きを手伝おうか迷ったが、下手に怪我でもしたら逆に面目潰れるので、長老らしく座ってビールを飲むだけにした。

解体場のテーブルがそのまま食卓に!

なんという無神経!

えげつないことこの上ないが、全然気にしない様子。

まあ気にしなければ気にならない。

超新鮮な焼き立て焼肉は、腰があって美味かった。

これは頚動脈や心臓から取った血液。既に凝固している。

タイ人は豚の血を良く食べる。ナムトックとは滝の意味だが、食材としては鮮血の意味。

血の固まったやつ溶血した血をクイッティオに入れて食べる。全く生臭くない。タイ人に貧血が少ないのは血を食べるせいだろうか?

それでは血を使った料理を紹介。

ラープ·ムーという。

驚くなかれ、生の豚肉を食べる。超新鮮な肉が手に入った時だけ食べられるメニューだ。

バラ肉を包丁で叩いてひき肉にする。そこに凝固した血液を混ぜて更に叩く。

そこに、トウガラシ、ニンニク、パクチー、エシャロット、醤油のようなたれ、

そしてこれが肝心なのだが、サルビアに似たシソ科のハーブ(名前失念)を加えて混ぜる。これだけ。

気持ち悪くて辛そうだったが、食べてみたら超絶品。まるでマグロの叩きの舌触り。

こんなもの食べたら腹を壊すって?

はい、壊しました。でも、不衛生で壊したのじゃなくて、トウガラシにやられただけ。

サンチャンという3層の肉。皮膚と脂身と筋肉の3層。

普段僕はこれが嫌いなのだが、このときは美味かった。どの層も柔らかく、弾力性があって、味が濃かった。

解体しながら調理して食べる。生肉を片付けてから宴会テーブルを用意すればいいのに。ただ、肉はだんだん減ってゆくので、案外合理的かも。

普通の日本人は無理でしょう、この食卓は。

肉の匂いを嗅ぎつけて、凄い量のハエが寄ってきた。初めはバナナの葉っぱで作ったハエよけでハエを追っ払っていたが、ビールが進むにつれ面倒になり、中国製のハエ取り紙使った。

これが驚くべき効果を発揮。ハエがハエ取り紙に止まるともう飛べない。毒があるのか、すぐに死ぬ。

写真はまだ少ないが、一枚につき1000匹ほど捕獲出来て、紙が真っ黒になった。

これがその製品。

日本にも黄色のハエ取り紙があったが、最近は余り見かけない。

タイでもこのタイプのものは初めて見た。三枚で20バーツ。

誘引剤、毒入り。

生贄の儀式は30分で終わったが、宴会は9時間続いた。

これでもう十分だろうと思ったが、カオヤイ農園でも同じことをやらないといけないらしい。

嫌だ、長老は見ているだけにさせてくれ。

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サラリーマンはもう飽きた。気がつけば人生の残りも僅か。ここはひとつ、窮屈な日本を抜け出し、活力あるのにどこかゆる~いタイを舞台に、自分らしい第二の人生に旅立つことを決めてしまった50代親父。

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