俺は馬鹿と見られている
最近、改めて気付いたことは、ハムケンは周りの人間から馬鹿と思われている。
マシュマロちゃんでさえ、僕は頭が悪い上、アルツハイマー症の進行で、ますます馬鹿になっていると言う。
勿論、自分では自分のことを馬鹿と思ってない。
アルツハイマーの進行も軽微と思っているし、交通事故でタイ語が鈍くなったのは認めるが、脳みそはまだ立派に働いていると思っている。
自分で思っていることは、全く当てにならないので、実際に馬鹿になったことは否定できないが、馬鹿と思われている理由に思い付くことがある。
前職時代、一時上司だった泌尿器科の医師がいた。彼は、7年間アメリカの有名大学でがん治療の研究をしていた。そういう訳で、英語は僕よりずっと達者だった。
その彼が言うには、
「日本人がちょっと英語ができるからと言って、英語ネイティブな人の語学力には遠く及ばず、僕くらいの英語でもアメリカ人から見れば、知能が実際の20%位にしか見られない。」
確かに、業務事項を伝達し合うのは出来るものの、微妙な心のニュアンスや哲学的なメッセージを伝えることは殆ど無理だった。
彼がそうだから、僕などはアメリカ人からは実際の知能の5%位にしか思われていなかったと思う。
実際、僕が言いたかったことの大部分は伝わらなかったと思う。
アメリカの大学に20年以上教授として務めていた別の上司や、10年以上臨床をしていた医師の場合は、実際の知能の50%位伝わっていたと思う。
纏めると、僕の英語力では実際の知能の5%、つまり馬鹿と思われていたということ。
英語で5%だったら、僕のタイ語じゃあ、1%が良いとこ。
つまり、ハムケンはタイ人から馬鹿と思われていて当然と言うことになる。
例えば、植物生理のことや、病気のこと、薬のこと、生物のこと、生化学のこと、などを彼らに説明しようしたところで、語学で1%しか言えないし、仮に翻訳機などで言えたとしても、彼らの基礎知識の乏しさ故に、意味不明となってしまう。
そんな訳だから、僕が賢いなんて思われる訳がない。馬鹿と思われて当然ということだ。
悲しいが、これが現実。
まあ、馬鹿な僕でも惚れてくれる人がいるのだから文句はないが、心の微妙なニュアンスや、わび、さび、日本文化の深いところは、日本人同士じゃないと絶対に伝わらない。
タイ人は馬鹿だと思っている貴方。タイ人からは貴方が馬鹿と思われてますよ。