事故とタンブン
昨日、手術を終えて退院したその足で、ワンナムキアオの偉い坊様のいるお寺にタンブンに行った。
タンブンとはお寺や御坊様にお供えをすること。
頭の怪我も肩の怪我も、思ったより早く良くなったのは仏様のお陰だから、お礼にたっぷりタンブンしておかなければいけない、と考えるのはタイ人としてはごく普通であって、それを怠ったなら、その人は不届き者の極致で、きっと将来酷い目に会うと考えるらしい。
実際僕は事故後に何人ものタイ人から、「治ったのは仏様のお陰だからしっかりタンブンしておきなさい」と言われた。
しかし、お寺の孫として産まれ、どちらかと言えば仏教徒な僕でも、そのようには考えない。考えられない。
それでは、不届きが運転するバイクに衝突されたのは仏様のお陰なのか?と思ってしまう。
早く治って来たのは、運が良くてそれ程重症ではなかったか、現代医学と医者のお陰であって、仏様のお陰とは思えない。
ましてや、会ったこともない御坊様のお陰じゃあないだろう。
「早く良くならせてくれてありがとう」と御礼を言う気持ちは分かるし敢えて反対しないが、タンブンに10,000バーツも出すのは正直勿体無いから止めて欲しいと思った。お金がたっぷりあるならいざ知らず、治療費として借りた借金もまだ返せてないのだから頭が痛い。
日本では、御坊様にお経や説教にお金を払っても、怪我や病気の回復のお礼にお金を払う習慣は無かったと思う。
それで、マシュマロちゃんと喧嘩になってしまった。「そんな大金を出す必要はない。」という僕のことを、マシュマロちゃんは、ケチで無信心と感じたようだ。
仏様に唱えるお祈りは、サンスクリットの言葉であってタイ語ではなく、日本のお教と少し似たところはあるが意味は分からない。お坊さんのタイ語も聞き取れず、僕には意味をなさないので、有り難さは感じられない。
お教と雑談の後、御坊様が縁台の上から降りてきて、僕の右肩を撫で、肩にふうっと何度も息を掛けてくれたときは、「この偉いお坊さんは病を早く治したり、痛みを取り去る神力があるのだろうか?」と思ってしまった。
仏教にそんな考えや風習があっただろうか? よく分からないが、タイには確かにあるらしい。
痛いところを擦ったり、息をかけたりするのは、「痛いの痛いの飛んでけー」の如く、古代から何処にでもある人間の自然な感性である。ワンコだって痛いところはペロペロ舐めてくれる訳だから、偉い御坊様がやれば普通以上の尽力を発揮すると考えるのは分からなくもない。
しかし、元来不届き者の僕は、老いた御坊様の臭い息よりも、若くて美しいお娘さんにやってもらった方が嬉しいし、きっとそっちの方が効果が高いと思ってしまう。
仏教だけじゃなくて、お酒や鶏の肉が大好きな土地の神様にも御礼をしないと行けないらしく、マシュマロちゃんは大量のお酒と鶏姿をしたの焼き物をも買って来た。こちらは、後日カオヤイ国立公園内にある神様にお供えする予定らしい。
それで気持ちがさっぱりし、不安から開放されるのなら結構なことだが、僕としては次の保険をどうするべきかとか、失ったお金と時間をどうやって回収するかの方にお金と時間を使いたいと思ってしまう。
タイは日本と宗教は似ている方だと思うが、宗教に関して心から共感するのは簡単じゃないと思った。