胃のない胎児6:大学病院に15時間
日曜日にバンコク入りして一泊し、月曜の朝早くチュラロンコーン大学病院に行くのが良いという僕の計画は正解だった。
ホイクワインの今は無きナタリー裏の新しいコスパ抜群のホテルを朝7時に出て、MRTで大学病院には7時半に着いた。
が、ナースのスクリーニング(仕分け)を通過したのが9時半。小児科に通され、医師と面会したのが11時。
手術予定表を見たら、26日に確かに住込みワーカーの子供の予約が入っていた。
が、数日前に小児がんの緊急手術の予定がそこに入ってしまった。
仕方なく次の空き時間を探すと、何と一ヶ月先迄びっしり。これには文句は言えないので、一月先の予定を入れて貰った。
医師との話には僕も立ち会った。
予想通り先天性食道閉鎖症のタイプAだった。
「欠損した食道の長さは長く、引っ張って繋げられないので、結腸か胃の一部を切り取って管にし、足りない食道部分に補間するしかない。未だどんな方法でやるか分からないが、大きな手術になる。おそらく脇からの手術は無理で開胸することになるだろう。でも、上手く行けば術後1週間から10日の位で退院出来ます。」
実のところ、タイプAの診断もコラートの病院でなされていることがコラート医師の紹介状に書いてあったのを僕はその時初めて知った。住込みワーカーは、食堂の一部が細くなって詰まっているだけで、直ぐに繋げられると言っていたが、やはり何も分かっていなかった。
「X線と全身状態の検査をしてから、今日は帰って下さい。来月22日に入院して貰って、24日に手術です。」
が、X線撮ったのが12時。結果が上がってきたのは午後2時。
X線は造影剤も入れずに撮っただけなので、素人の僕が見たところ、欠損部の状態はさっぱり見えない。CTを取ると思っていたのに、それは無し。造影剤なしで一体何が分かるだろうか。
それから、やっとこさの血液検査。午後1時半に採血して、結果が出たのが4時半。
そこで大問題が見つかった。
詳しくは書かないが、重度の低ナトリウム血症(118mEq/L)。クロライドもカリウムも危険水域。意識朦朧、引きつけが起こっても可笑しく無い程の異常値。ヘモグロビンもヘマトクリットも低値。
こんなんじゃ手術はとても出来ない。
コラートの病院で尿潜血があると言われていたので腎臓の問題かと医師に聞くと、
「腎臓はそう悪くない。」
「じゃあ、どうしてこんなにナトリウムとクロールが低いんですか?」と聞くと、
「僕にもさっぱり分からない。別の方法で測り直してみて、良ければ帰っていいけど、悪ければ帰れません。」
直説法での測定結果が出る前に時間切れで別棟の夜間診療の部屋に移動。
待てども待てども順番が来なくて、夜8時にやっと医学部学生の研修の材料として呼ばれた。
「今日はどうされましたか?」から始まって、経緯説明。
指導の医師が検査結果を見て仰天。
「この値で無症状ってどういうこと? 不思議だねえ。さて、どうする?」
尿中のナトリウムも見ておきましょう、とここで初めて採尿。
僕は流石に頭に来て、
「何で初めから全部調べないんだ。時間の無駄だろう!」とマシュマロちゃんに言うと、
「30バーツ診療じゃ、そんなことできるわけない。必要最低限のことをちょっとずつやるしかない。」との説明。至極納得。
夜の9時、緊急入院が決定。
いろいろ話して、それもすべて公費負担でタダになった。
病棟に入る前、入ってからを含めて、5人以上の医師と看護婦から、何度も何度もミルクやその他飲み物の量や頻度について同じことを聞かれた。
一回の乳の量や下痢や嘔吐の有無(嘔吐できないが)、他の薬の有無、どんなミルクか?などなど。因みに、現在は母乳は止まって、人工乳になっていた。
基本、胃瘻からミルクを入れているだけなので、そこが気になるのは分かるが、同じ質問ばかりで少々うんざりしていた。
夜10時。最後に看護婦が聞いた。
「今上げているミルクを見せて下さい。どうやって調整していますか?」
「サジ2杯にお湯4オンスです。」と母親。
看護婦はミルク缶の説明書きを見て、
「ミルクサジ2杯ならお湯2オンスですよ。どうして4オンスなのですか?」
結局、無知な母親は何処かで勘違いして、ずっと二倍薄いミルクを与えていたのだった。
ミルクしか飲まない乳児が二倍薄いミルクを与えられたら、本来の倍量の水を飲まされているのと同じなので、それが原因の低ナトリウム血症だった可能性がある。このところ体重が増えなかった理由でもあったかも知れない。
ちょっとくどかったけれど、注意深く徹底的に問診する重要性を感じた瞬間だった。
緊急入院の乳児と母親を残して、僕らはホイクワインのホテルに戻り、それからカオヤイ迄走リ、家に着いたのは夜中の2時だった。
- Related Entries