諦めない

最後まで諦めずに頑張り通す。これが成功者に共通する唯一の特徴のように感じる。

しかも、それが人生を掛ける程の価値があるかどうか疑問に思うようなことでも、その人の目の前に立ち塞がる問題を乗り越える為に、常に全力で最後まで頑張る。

そうする中で、運が良い一欠片の人が成功者となる。

つまり、大多数の人は、諦めずに最後まで頑張ったけれど、世間で言う成功者にはなれないまま終わる。

けれども、その人の足跡は、きっと誰かに引き継がれ、未来の成功へと続くのだろう。

東京オリンピックでどん欠になってもゴールまで走り終えた人の記事が妙に心を売ったので、そのまま無断転載する。

以下、転載。

2019年1月10日 11:16毎日新聞社

1964年東京五輪の男子陸上1万メートルで、周回遅れの最下位ながら最後まで走り抜き、観衆の胸を打った選手がいた。セイロン(現スリランカ)人のラナトゥンゲ・カルナナンダさん(当時28歳)。その姿は日本の国語の教科書でも紹介され、「67」のゼッケン番号とともに語られてきた。あれから55年。「諦めない」祖父譲りの精神を受け継いだ孫娘が、日本で介護福祉士の資格を目指している。

 東京五輪で、カルナナンダさんは他の選手が次々とゴールする中、周回遅れとなり、脇腹を押さえながらトラックを2周、3周と1人で走った。スタンドに当初満ちていた嘲笑は次第に声援に変わり、やがて優勝選手に劣らぬ拍手と歓声に包まれながらゴールした。  この逸話は71、74年度版の教科書「小学新国語 四年」(光村図書)で「ゼッケン67」という題で掲載された。物語の最後にカルナナンダさんは語る。「国には、小さなむすめがひとりいる。そのむすめが大きくなったら、おとうさんは、東京オリンピック大会で、負けても最後までがんばって走ったと、教えてやるんだ」  カルナナンダさんは74年、母国で湖に転落して亡くなった。当時10歳だった「むすめ」のネルムさん(54)は、自分の娘のオーシャディー・ヌワンティカ・ハルペ(オーシャ)さん(27)にその言葉を語り継いだ。小さい頃から話を聞いたオーシャさんは言う。「祖父は『他の国だったら、拍手は湧かなかっただろう。なぜなら日本人は戦争に負けて復活した。だから気持ちが分かるんだ』って」  オーシャさんは日本に興味を持つようになり、2年前に来日した。現在は介護福祉士の国家資格を目指し、群馬県内の専門学校に通う。日本の介護技術を母国に持ち帰り、日本式の介護施設を建てる夢がある。「日本と母国のためにチャレンジしたい」  ホームシックになって国にいる母と電話で話すと、いつもあの言葉で励まされる。「負けてもいい。でも一度決めたことは最後まで諦めないで」。学校の試験前には、スマートフォンで、祖父のゴール映像を見る。少し自信を失っていても、いつも前向きな気持ちに変えてくれる。「今もわたしの心の中で、おじいさんは走っているんです」【杉直樹】

これを読んで泣けてきた。

何一つ諦めなかったら、疲れて死んでしまうけれど、たまには諦めずに頑張るのも悪くない。

どんくさくても、諦めずに頑張ることを日本は昔から美徳として来た。日本に限らず、これはきっととても大切なことなんだろうと思う。

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