フィン
「私、あの人達嫌い。もう話もしたくない。」とマシュマロちゃんは言った。
二週間ほど前に辞めて帰っていった山の上の親戚夫婦のことである。
僕から見ればよく働いてくれたと思うが、妻の方が少しひ弱だった。
幾つか不思議な行動が見られた。
折角買ったちょっと値の張る料理や、手作りの西洋料理、日本料理の殆どに手を付けなかった。
「私たちは、こういうものは食べたことないので食べません。」
まかない付きの約束だったので、毎日気を使って、結構なお金も使っておかずを買ったり作ったりしていたののだが、大半は食べないか、一口食べただけで食べ残していた。
僕が卵料理を作ろうとしたとき、
「おおっ!、目玉焼きか? 食べたいなあ。」と彼らは言ったのだが、僕はいつもタイの油で揚げたような目玉焼きじゃあ飽きるだろうと思って、見るも美しいスクランブルエッグを作ってあげたのだが、一目見るなり退席。一口も食べなかった。
彼らは、白米に砂糖やコンデンスミルクをかけて、胃に流し込むように食べるのが好きだった。食事の時間は10分以内で、食べ終わるとさっさと席を離れた。
彼らが作る料理は何の味もしなかった。例えば、白菜はだたの水で煮るだけ。塩すら入れない。
水で煮た野菜に唐辛子の粉を眩して、それでご飯を食べる。
おかずとは(タイ語で文字通り)お米を食べるためのもの。
僕の舌には到底馴染めないものだった。
まあ、それは文化だから仕方がない。恨むほどの話ではない。
彼らは明らかにカフェインを好んだ。カフェインを含むものは何でも好きだった。タイ版リポビタンDのM-150, コーヒーにコーラ。
彼らはよく朝方まで部屋の電気を付けていた。マシュマロちゃんが言うには、殆ど寝てない時があるという。
カフェイン中毒だった。
タイではフィンという覚醒剤。
ヤーバーも6割がカフェインだが、価格と症状から、アンフェタミン系は入っていなかっただろうと思う。カフェインの他に何が混じっていたのかは知るすべもない。
そう言えば変なところがあった。
決してマシュマロちゃんの車でここに来ることはなかった。マシュマロちゃんが言うには、検問を恐れていたからだという。警察もプロなので、多くのヤーバーが検問で引っかかった。僕らに迷惑をかけたくなかったのか、僕らの前に恥をかきたくなかったからなのかは分からない。
労働ではもっと変なところがあった。
夫婦2人何時も、片時も離れずに一緒に居た。
座るときはお尻をくっつけるように座った。
仕事はもちろん2人で一つのことをやった。
別の場所で離れて仕事をすることを極度に嫌った。これがマシュマロちゃんが気に入らなかった点の中で一番大きい。
「2人は強く愛し合っているから」
というのが一つの解釈だが、僕にはそればおかしなことだと思った。
離れないだけじゃなくて、何時も2人でおしゃべりしていた。まるで2人だけの世界にいるようだった。
何度か、妻はワンナムキアオ、旦那はカオヤイという具合に仕事をアサインしたことがあったが、とても嫌な顔をした。そして何かと理由をつけて、結局2人同じところで同じ仕事しかしなかった。
しかも、女のほうは頭はいいが、身体は弱かった。長く頭痛や下痢を訴えて、仕事にならない日が続いた。
「あの人達は賢くて、口では偉そうなことを言うけれど、実際は対して仕事が進んでいない。身の回りのものを全部買って与えて、女のナプキンまで買ってあげているのに、あの仕事ぶりじゃあ我慢できない。」
とマシュマロちゃんは怒った。
僕がおかしいと思ったのは、長く続いた頭痛。典型的なカフェインの離脱症状で、長いと9日感も続く。持ってきたクスリが切れたのだろう。
彼らは偏頭痛だと言った。しかしイブプロフェンがよく聞いて、いわゆるマイグレインではないことはすぐにわかった。
振り返ってみると、女の方の表情が少し変だった。目がつり上がって興奮状態のような顔をしていた。若い頃、ディスコでお酒と音楽にのぼせた女の顔に似ていた。
僕が辞めて貰おうと決意したのは、
「マシュマロちゃんは口が悪すぎる。私達は息子たちにもあんな言い方をされたことはない。小娘のくせに腹が立つ。今、私達がここに居て仕事を頑張っているのは、彼女のためじゃなくて、あなたのためにやっているのよ。あなた独りじゃ何にも出来なくて気の毒だから。」と言われた時だった。
マシュマロちゃんの口が悪いのは知っていた。僕に対しても悪い。
しかし、彼女は年下ながら雇用者だ。そういう身の程知らずの態度が気に入らなかった。
一番頭にきたのは、僕のためだけに我慢してやっているという趣旨の発言をした時た。
「ああ、この人達とは一緒にやっていけない。」と僕は思った。
彼らが仕事を投げ出して帰ることを決めた時、僕は渡りに船だと思った。
今思うに、彼はそんなに悪くない。ただ、薬物中毒だけが悪い。薬物中毒は人格を壊す。ちょっとしたことだが、長く付き合わないほうがいいことは確かだった。